mugimiの怠惰な毎日をだらだらとお送りします
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退官記念パーティー
2008年10月22日 (水) | 編集 |
前の前のボスである、博士課程での指導教官(つまりは教授)は、
今年度(つまりは来年3月)で定年退職である。

教授が定年を迎える、といったら、
付き物なのは「最終講義」と「退官記念パーティー」。

私が今まで見た感じでは、基本的には華々しいセレモニーである。

卒論の時についていた先生が定年退官をされるときは、
大会場での最終講義だった。
ゆかりのある方々が勢揃いされたので、
そりゃもう豪華な顔ぶれだったし、
内容も「これまでの私の研究人生」のような、自伝的な講義。
最後はもちろん花束贈呈で終わる。

といっても、そういうのを好まない先生も多く、
時間割的に最後に当たった講義を、
文字通りの「最終講義」にされる先生もいらした。
この場合は普通に教科書を開いて普通に講義をして、
「今年の講義はこれで終わりです」で終了。

「最終講義」と聞いて他大学からゆかりのある先生方もいらしていたので、
拍子抜けしていたのを目の当たりにしたこともあるほど。


退官記念パーティーの方も、
ゆかりのある先生方を招き、卒業生も勢揃いして、
かなりフォーマルなパーティーになる場合が多かった。
卒論の時についていた先生はかなり有名な先生だったので、
最終講義とは別に、
「○○教授退官記念・国際シンポジウム」と称して、
海外からもゆかりのある研究者を招いてシンポジウムがあったほど。
(で、そのあとパーティーがあったというわけ。)


私の前の前のボスは、華やかなことが嫌いなわけではないのだが、
「普通はこうするんですよ」
「みんなそうしてますよ」
といわれると、途端に反発するという性質がある。
で、「最終講義はナシ」「パーティーするならワシは参加しない」
という、わかりやすーい状況になった。

とはいえ困ったのはスタッフの面々である。
本人の意志とは言っても、なにもしなかったら、
「あそこの研究室は気が利かないから誰もなにもしてあげなかった」
と言われそうだしねえ。


・・・というわけで、頭の回るスタッフMさんが、
「パーティーという形ではなく、
これまでの歴代卒業生に集まってもらって、
久しぶりの顔ぶれを眺めながら会食というのはどうでしょう」
と提案して、ようやくOKが出た次第。

それでようやく一つの形が出来た・・・のだが。

考えてみると、この教授は今の研究室に来る前、
かなり長いこと他大学の助教授だったのだった。
だから、今の研究室の卒業生って、そんなにたくさんいないのである。

数えてみると・・・。

留学生を含めて16人。
(私も含めている。)
留学生の2人はそれぞれ母国に戻っているので、
まあまず来ないだろうし、来るといっても教授が
「わざわざ来なくていい」と言いそう。
(仲が悪いという意味ではなく、そこまでして来るほどのものではない、
という意味で言いそう。)

となると残り14人。

このうち1人の女性は確かまだお子さんが1歳とかそれくらいなので、
(しかも確か東京に住んでいるので)
子供を連れても、置いても、わざわざ岡山まで出てくるのはシンドイかな。

さらに卒業後、一切連絡がなく、
今どこにいるのかすら(はたまた生きているのかすら)
わからないのが2人。

そう考えると、多く見積もっても10人ちょっとか。


私自身は、卒論でついた先生には1年しかお世話になっていないとはいえ、
1年間しっかりお世話になったという自覚があったせいか、
(つまりはしっかり迷惑をかけたという自覚があったせいか)
最終講義もパーティーも(それぞれ別の日だったが)東京まで行った。
残念ながら昨年亡くなられたので、お葬式のときも東京まで行って、
出席させて頂いた。

と、考えると、修士時代の2年間って、
結構長い(考えようによっては短いかも知れないが)。
その間にどれだけ教授にお世話になったと思うかは人それぞれだと思うが・・・。

仕事とか、家のこととか、休みとか、移動にかかる金銭的なこととか、
いろんなことはあるけれど、
出るかどうか、というのは、最終的には気持ちの深さなのかなあ。

はたして、多く見積もった10人ちょっとのうち、
「出ます」といってくる、深い気持ちを持った人は何人いるのだろうか。

私の予想だと(かなり悲観的だけど)、7人、かな・・・。
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ケータイパニック
2008年10月10日 (金) | 編集 |
ずいぶん前だが、固定電話に「ナンバーディスプレイ」という機能が登場したとき、
何と便利なものだろうと感心した記憶がある。

が、時は流れてケータイの時代になった。

固定電話ではナンバーディスプレイをするのに基本料金以外にも設定料金が必要だが、
ケータイでは最初からその機能がある。
友達の番号・アドレスを登録しておけば、
こちらから連絡するのも、向こうから連絡が来るのもスピーディー。
今の高校生くらいは、家の電話なんてまどろっこしくて使えないんじゃないだろうか。

とはいえ、ケータイでの連絡に慣れてくると、別の問題が生じてきて・・・。


先日姉に用があって電話をした。
私は基本的に電話嫌いなので普段はメールでやりとりするのだが、
このときは若干急いでいたのと、聞けば5秒でわかる話だったので、
珍しく電話にしたわけ。

ケータイからケータイにかけているわけだから、
姉からすれば、「妹からかかってきた電話」と認識できるはずである。
その認識があるから電話を取ってすぐに会話が開始するのであって。

・・・が、数回のコール音の後、聞こえてきた「もしもし」という声は
「姉の声じゃなく」
「誰からかかってきた電話なのかをいぶかしんでいる」
ものであった。


・・・・はて?


私だということを認識できないということは、私はもしかして別の番号にかけたのだろうか?

いや、ケータイのメモリーからかけているのだから、
姉のケータイでない番号にかけているはずがない。


はたまた、姉のケータイを別の人が使っているのか?

って、それって盗難にあったってこと??


と軽いパニックになった私はあわてて「すみませんっ」と切ってしまったのである。


落ち着いて考えてみよう、えーとえーとえーと。


・・・と思った数秒後に、私のケータイが鳴り始めた。
画面を見るとまさしく姉の番号である。

「も、も、も、もしもし?」と取ったら、
「もー、切らなくてもいいじゃーん」といつもの姉の声がした。あれ?


なんでも、子供たちにさんざんケータイをいじられてしまって、
設定がおかしくなったのか、画面に「誰からの電話」かが出なくなってしまったのだそう。
そんなわけで、ケータイがなっても誰からの電話かが分からないので、
超気取った声(←まるで別人)で、「もしもし?」と出ているらしい。まぎらわしいなー。

ちなみに着信を見たら私の番号で(そもそも私の声だったので)、
すぐに折り返し電話をくれたとのこと。

これがもし家の電話にかけていれば、多少姉が気取った声を出していても私も気がついたのだろうが、
ケータイにかけていて向こうは認識しているはず、という無意識が働いたんだろうねえ。

あーびっくりした。
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