mugimiの怠惰な毎日をだらだらとお送りします
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学術的な文章
2007年12月26日 (水) | 編集 |
私が週に一度習っている英語の先生Pさん(アメリカ人)は、
近くの大学で非常勤講師としても活躍している。

この大学は食品科学とか看護学の分野が活発なのだそうで、
その分野の先生方が学術論文を書くと、
このPさんに校正の依頼があるらしい。
専門的なことはわからなくても、
少なくとも英語として正しいか、そうでないかはわかるし、
それにPさん自身も教育学・心理学の両方を専攻して、さらに、
TESOL(Teachers of English to Speakers of Other Languages)で修士号も取っているので、
学術論文の書き方などにも精通している。
(日本語に置き換えて考えてもわかるだろうが、
単純に日本語が出来るだけでは、学術的な文章は書けない)

英語で学術論文を書く、というのはかつての私も含め、
多くの日本人研究者にとっては高い壁である。
だから「英語で学術論文を書く」と打ち込んで検索するとわかるが、
おびただしい数のマニュアル本も存在する。
よくいわれるのは「日本語で書いたものをそのまま英語に直訳するな」というもの。
まあ、これは学術論文に限らず、日常会話でも全く同じなのだが・・・。

日本語というのは主語なり述語なりを省略しても成り立つ場合がある。
よくいわれる極端な例が「私はタヌキ」「俺、コーヒー」だろうか。
先日たまたま読んだ本では、
「公園はマナーが悪い」
というのがあった。
この場合、公園のマナーが悪いわけではなくて
(もちろん「公園さん」という個人名の話でもなくて)
公園にいる人たちのマナーが悪い、という意味である。
これらを直訳したら、そりゃ凄まじい英文になることは容易に想像できる。
ここまで極端ではなくても、日本語で考えたことをそのまま英語にしても、
文法的には間違っていなくても、意味がわからない、という結果にもなりかねない。

それでも訳せるだけまだマシ、といえるかもしれない。
Pさんに依頼する先生方(大学の先生よ!)の中には、
ぬけぬけと「私、英語出来ないんで」と日本語でそのまま持ってくる人がいるらしい。
分野によるのかもしれないが、少なくとも、
私がこれまで属した分野でそんなことをいったら淘汰されることは間違いない。
(あ、だから私も淘汰されたのか・・・?)

これまではPさんの大学の他の英語の先生(日本人)が、
それなりの対価をもらって日本語→英語に翻訳し、
それをPさんが最終チェックしていたらしい。
ずっとそのペアでうまくやっていたようなのだが、
この日本人の英語の先生がこの3月で定年になるため、
「もう受け付けない」と宣言されたとのこと。

で、私にお鉢が回ってきたというわけ。

ぜったいいやー

とごねまくったのだが、
「mugimiより英語の出来る人は確かにたくさんいるけど、
学術的な論文を書いたことのある人はそうはいないのだし、
文法的なことや言葉遣いなんかの最終チェックは私がするのだから、
あなたに完璧な英語を求めているわけではないのよ。
それに翻訳作業をすることで英語の勉強にもなるでしょ」

とPさんに論破され(全てごもっともなので反論できない)、
とりあえず数報のアブストラクト(論文の要旨の部分。日本語で500文字くらい)
を渡された。

さて。話は変わるのだが。

日本人は(仮に日本語であっても)「学術的な文章の書き方」という
トレーニングは受けていない。
卒論から始まり、修士論文、博士論文・・・・と書くにつれ、
またその過程で派生する数々の原稿(学会発表の予稿集など)を書くにつれ、
徐々に経験を積んでいくしかない。
よって、よほどキビシイ先生についてトレーニングを受けるか、
はたまた自分自身で文章力を向上させようという気持ちがない限り、
どんなに回を重ねても、あまり文章力は向上しない、という場合も多々ある。
(話はそれるがこれは学会発表などのプレゼンテーション能力も同様。
教授クラスでも下手な人はホントに多い。)

しかも上述のように、日本語というのは、
主語を落としたり述語を落としても、案外なんとかなってしまう。
だから学術的な文章を書く訓練をしていない場合、
なにをいいたいのかさっぱりわからない文章になってしまうのである。
(偉い人が書いた文章がわかりにくい、とよくいわれるが、
内容が難しい場合もあれば、日本語として理解しにくい場合もあるというわけ)

まあそんなこんなで渡されたA4半分のアブストラクト。
軽い気持ちでパソコンを立ち上げて翻訳を・・・と思ったが、
よくよく読んでいて、途中で気が狂いそうになった。

「××の方が効果が高かった」
などといきなり書いてあるのである。
評価基準がないばかりか比較対照もない。

あるいは2つの事柄について比較したという内容でも
「AのほうがBよりも有意に高かった」
としかない。
データに関する内容(n数、検定方法、P値など)は一切記載されていない。
というか、統計処理などせず、数字だけ見て主観的に
「こっちのほうが多い」
と判断したのではないかという感じ。

はたまた、一つの長い文章の中で、
明らかに主語が違うのではないか、と思う二つの話がつながっていたり、
「臨場感が高まった」というような、客観性のまるでない、ただの感想があったりもする。

さらに、要旨という、結果をぎゅっと凝縮した部分のはずなのに
「何故このような結果になったのであろうか?」
などという、腰が抜けそうになる疑問文が挿入されていたりもする。

わずか500文字に対して数時間考え抜いて、
「多分この評価はこういう基準で判断したのだろう」と前後の文脈で類推したり、
「この文は一回ここで切った方がいいだろう」などの判断を私なりにしたのだが、
それでも比較対照がない場合や主観的な感想など、
どうにもいじれない部分はそのまま英語にしてPさんに提出。
割とすぐに返事が来て「ここがよくわからない。意味不明。」とチェックが入ったのだが、
これがまた見事なまでに「どうにもいじれない部分」ばかり。
(文法や言葉遣いもしこたまチェックされていたけどね)

しかたないので
「これは私の訳に問題があるのではなく、元の日本語に問題があります。
著者に聞いてください」
と書いて送り直した。

しかし、これまで受け付けていた日本人の英語の先生は、
こういうのをどうやって直していたのだろう?

大した文字数ではなく(しかもボランティアに毛が生えた程度のバイト代しかでないのに)
頭を抱えてパソコンの前で、きいいいいいいいっ、となっている私を見て、
ダーリンは「もう、出来ませんって、いったほうがいいと思うよ・・・」と一言。

ホントよねえ、そりゃ英語の勉強にはなるけど、
ある程度のレベルの日本語でないと、翻訳も出来ないもんねえ・・・。
この先生方のところに乗り込んでいって、
「まず日本語でちゃんとした学術論文を書けるように訓練しろ」と
(自分のレベルを棚に上げて)説教をしてやりたいところである。
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