mugimiの怠惰な毎日をだらだらとお送りします
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しゃべりすぎた日は
2007年04月25日 (水) | 編集 |
ダーリンは今日から学会で出張。
家に私一人だとつまらないよぉ~。

今日は午後からお茶のお稽古。
早いもので、お稽古を始めてからもう半年。
来月からは風炉だという。そうかー。
半年後にまた炉になったときは、またお点前忘れてるんだろうなあ。

お稽古のあとで先生とお茶とは関係ない世間話。
これが盛り上がってしまい、一時間近く長話してしまった。

そのあと某所に出かけてさらに二時間半くらいしゃべって・・・。

みんなそうなのかもしれないが、
私の場合、すごい勢いでおしゃべりすると、
「気分がすっきりする」という部分(ストレス発散)と、
「ちょっとしゃべりすぎた」という部分(後悔)とが同時に押し寄せる。
今日はたくさんしゃべったので、この二つがやはりたくさん・・・。

後悔する、というのは、
「あそこは言い過ぎたかもしれない」とか、
「他人のことをべらべらしゃべるのはルール違反だった」などの、
本当に文字通りの後悔。
後悔すると最初からわかっているなら無口でいればよさそうなものだが、
それはやっぱりツマラナイので、毎回同じようにしゃべりまくって、
毎回同じように「あー楽しかった」「あー言い過ぎた」と思うのである。

一つの出来事について私の視点から見た場合、といっても、
捉えかたによっては何通りかのストーリーが出来る。
頭の中ではこの何種類かのストーリーが並行して動いていても、
言葉にして口に出すときは便宜上その中の一つにせざるを得ない。
さらにいえば、視点を変えて見た場合には
全く違うストーリーになる場合もある。
これは〇〇さんの立場であればこう思うだろう、という推定も含む。
私はなるべくいろんな角度から立体的に考えたいと心がけているのだが、
一つの出来事について語るときはどうしても平面的な言葉になってしまう。
そのへんの(気持ちの)ギャップがもどかしくて、そこでまた後悔したりする。

思うこと全てを言葉にすることは不可能、と最初から割り切れればいいのだが、
思うことと言葉との間をなんとか埋める努力は怠ってはいけない、
とも思ったりする。
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