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仮定リプレイ
2007年05月15日 (火) | 編集 |
「スキップ」の読後感の余韻をまだ楽しんでいる。
(詳しくは5/12の日記参照。)

高校時代から今にかけて、それこそものすごくたくさんの選択肢があり、
その都度その都度で自分で取捨選択して今にいたるわけだが、
「あのときあっちの道を選んでいたら・・・」と思うことも数多い。

大学4年のとき、私は進学が第一希望で、
実際それを阻むものはなにもなかった。
(家族の理解も得られていたし、経済的に進学も可能だったので。)
それでも周りが就職活動をして、
次々に社会人への階段を登り始めているのを見ると、
内心、心穏やかではいられない。

私がお世話になった卒論の先生は、
その前の年に某T大を定年退官したばかりだった。
そこそこ知名度もある先生だったので、まあ「顔が利く」わけである。
私の同期生は全員就職希望だったが最初はなかなか決まらなかったので
(いわゆるバブル崩壊直後の代である)、
先生が心配してあちこちに声をかけたところ、
それなりに求人があれこれと寄せられたのである。

中でも熱心だったのは千葉県にある某研究所。
私の同期生はすぐに断ったのだが(自宅から遠かったので)、
それだったら他の研究室で誰かいませんか、
とかなり熱心にラブコールをされた。

研究所だったら研究も出来るし、
それでお給料がもらえるのはいいかもなあ・・・。

と、一瞬心揺らいだのは確かである。

もっとも私は「進学希望だ」とそれ以前からはっきり表明していたので、
周りも先生もそのつもりで私を扱っていたから、
私が心揺らいだのは誰も知らないのだけど。


ちなみにその研究所はかずさDNA研究所、という。
数日前ふと思い出して検索したのだが、研究所の歴史を見ると、
平成3年 2月14日 研究所設立総会開催
とある(研究所が開所しているのは平成6年である)。
私が大学を卒業したのは平成3年の3月だから、
この歴史からすると、研究所が出来ることは決まっていても、
実際に研究所が出来るよりもだいぶ前になってしまい、どうも話が合わない。
この研究所の前身だったのか・・・?

あのときに熱心に誘ってくださった先生のお名前でも思い出せればいいのだが、
あいにくすっかり忘れている。
同期生に聞いても多分みんな忘れているだろう。
(みんな研究とは違うお仕事に行ってしまったしね)

もしあのとき進学を振り切ってここに就職していたらどうなっただろう。
多分テクニシャンとして仕事をしていたのだろうが、
結構楽しんでやっていたのではないかと思う。
かずさDNA研究所は当時は無名だったが(設立前だしね)、
今じゃとっても有名になって一流研究機関だもんねえ。

入社時は業績も知名度も低かった企業が、
自分が入ったとたんにあれよあれよと大きくなって、
その成長を間近で見られたら、それはすごく面白いような気がしない?

もっともダーリンと結婚することは
その当時で既に(心の中では)決めていたから、
ある程度の年齢になったら辞めていたのかなー。


もう一つ、修士を卒業するときにも、
最初は就職する気でいたから(実際には卒業後すぐ結婚したんだけど)、
チラホラと就職活動をしていた。
自分では企業への就職をぼんやりと考えていたのだが、
実際には折り合わず(要は落ちてしまって)、
隣の研究室の教授がわざわざ「こんなのどうかな」と持ってきてくれた。
これはつくばにある研究機関で、やはりテクニシャンのお仕事。
当時私は細胞培養をガンガンやっていたので、
それを隣の教授が見ていて買ってくれたらしい。

ちなみにその研究所は、つくばにある理化学研究所
隣の教授は私の実家が柏であることも含んだ上で、
仕事内容も場所もいいのでは、と勧めてくれたのだった。

これもなんだかんだで結局お断りしたわけだが、
もしここに行っていたらどうなっていただろうか・・・。
つくばの理研も一流の研究機関だしねえ。
優秀な研究者がたくさんいる研究機関にいたら、
刺激がたくさんあって、面白かっただろうなあ、と思ったり。

ま、ここも結局結婚したら辞めていたかもしれないけどね~。


・・・などとつらつらと考えながら楽しめるのは、
今が幸せだからに他ならないのかしら。ふふふ。
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