mugimiの怠惰な毎日をだらだらとお送りします
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英会話を習い始めてちょうど一年
2006年10月29日 (日) | 編集 |
書くネタは結構豊富にあるのに、どうも間隔が開いてしまうなあ。
気のせいか、パソコンの前に座ると頭痛がするのよねえ。
電磁波の影響か・・・?


昨日(土曜日)は英会話のレッスン。
私は「会話」と「ライティング」のクラスに出ているのだが、
「ライティング」の方は人が少ないので、
一番多かったときで3人、少ないときは私一人。

「会話」のクラスでは多少文法が間違っていようが、
とにかくしゃべることが第一なので、
会話の流れをストップしてまで直されることはあまりない。
ただし「ライティング」のほうはそうはいかない。
「書いたものはのちのち残るのだから、文法が間違っていたらダメ」と手厳しい。
50分のレッスンのために数時間かけて宿題をしていくが、
あっさり「これは違う、これは間違っている、もう一回やり直し」となるしね。

「すごく時間かけてこの文を書いたのにまちがいだらけでガッカリ」といったら、
先生(アメリカ人)に、
「何言ってるの!わからないから習ってるんでしょ!
全部出来るんだったら習う必要がないんだから、いっぱいミスをしなくちゃ。」
とあっさり言われた。そりゃそうだ。
先生は言う。
「人間みんな欠陥だらけなんだから、パーフェクトになろうだなんて思っちゃダメよ。
そもそも無理なんだから。
だけど日本人は、特に日本人男性は、パーフェクトじゃなきゃいけないっていう、
思いこみの強い人が多い気がする。
人のミスを許せない、自分のミスも許せない、そんなのありえないでしょ?
たくさん失敗して、そこから学んで、次は成功させればいいだけの話じゃない」
と実にわかりやすい。

そういえば、この先生はいくつかの大学で非常勤講師をしているのだが、
以前こんな事があったという。
テストのあとの成績を大学に提出したあと、ミスがあることに気づき、
「まちがいを見つけたので訂正させて欲しい」といったら
事務の人がカンカンになって「なんで間違えるんですかっ」と怒ったとのこと。
「確かにミスをしたのは私の不注意。
だからその非を認めて、改めてそのミスを訂正させて欲しい、
という主張は何かおかしいの?
この人は生まれてから今までミスしたこと無いのかしら」と思った、
と淡々と言っていた。

お茶を習い始めて先生にいろいろ教えて頂いているが、
「ここを間違えるとお茶席で恥をかきます」とか、
「これを知らないと余所のお茶の先生にバカにされます」と言われることが多い。
「間違えて恥をかく」ことが許されない状況なのかと息苦しい。
最近読んだ茶道関連のエッセイでも、
「床の間のお軸の位置に気づかずに××などと言ってしまったら、
その人の茶人人生が危うい」
なんて書いてある。
間違えたら一巻の終わりなんだねえ(こわっ)。

ずいぶん前に読んだ林真理子さんのエッセイでもこんな話があった。
着物を着るようになって、最初はやはり着付けがうまくいかず、
帯の位置が少し傾いていたり、着物にシワが寄ったりする。
「したり顔で近づいてくる人を○○さんは目で制した。
あとで聞いたら、『あんなところで言われたら、林さんが恥をかきます』
と言っていた」(手元に本がないので記憶で失礼)
うーん、「ココ曲がってるわよ、直しとくわ」「あらすみません」
で済まないのか・・・。

日本人が英語をしゃべれないのは、「間違ったら恥ずかしい」
と言う気持ちが強いからだ、というのは何も私がいうまでもなく、
それこそあちこちで言われることだ。
自分のまちがいを人から指摘されるのは「恥をかく」ことで、
「恥をかく」ことは日本の文化では許されないのだろうか?

うーん。

もう一つ。
私の英会話の先生は、ライティングのレッスンの時ホント怖い。
語気も強くなるし、まちがいを叱責する口調も顔つきもシリアス。
だけど勘違いしてはいけないのは、「怒っている」わけではないということ。
前述の大学事務員のように、「何でこんな簡単な問題を間違えるの!?」
と「ミスをしたことを叱責している」のではない。
もちろん「ミスをした私を叱責している」のでもない。
単純に「違っている、間違っている」ことを、理解させるためにシリアスになっている。
ややこしいけどわかるかなあ?
(だからレッスンが終わるとケロッとした顔で世間話をする。)

その辺がイマイチわかっていない人が多いなあというのが率直な印象。
ライティングのクラスを今月から始めた人が、
「すっごく怒られるんだもん」と言ってあっさり辞めてしまった。
以前も意見が食い違ったことですごいめちゃめちゃ言われた、
なんかもうイヤになっちゃった、みたいなことを言っていたが、
私の感覚からすると、ちょっと違うんだよな・・・。

例を挙げるのに話を変えると、
元ボス(日本人)と私の言い争い(実験結果の解釈について)もこんな感じだった。
お互い、自分が正しいと思っているから、そりゃ口調も厳しくなるし、
語気も強くなるし。周りにいた人の顔色がだんだん青くなってくるのもわかったくらい。
だけどお互いの人間性を否定しているわけでは決してなかったから、
セミナーが終われば同じ部屋でコーヒーを飲みながら談笑する。
そういう感じ。

その人の人間性は好きだけどこの考え方は私と違うな、とか、
この人のこういう考え方は私と同じだけど、でもこの人とどうも馬が合わないな、
とか、色々あると思う。でも、
「あの人の言っていること私と違うから、あの人自身を気にくわない」
というのはいかにも短絡的すぎる。
もちろん、
「あの人のこと気にくわないから、あの人が言うことは何でもかんでも反対」も同様。

あんまりこういう話を他の人としないから、私の考え方が特殊なのか、
あるいは一般的なのか、実はよくわからない。
ただ一般的に言われていることとしては、アメリカ人の方が
「意見が食い違ったらそれぞれの主張をきちんとする」こと。
だから「意見が合わない」ことはある意味、話のとっかかりなのに、
自分の意見を言わずににこにこして「ハイ、ハイ」といって、
その陰で「自分と意見が合わない、だからあの人キライ」という思考では、
もうアメリカ人と話せなくなるよ?
それって、自分で世界を狭めてるんだよ?
・・・というのが私の感覚。

昨日は10月最後のレッスン、ということで、
パンプキンクッキーを持っていった(気分だけハロウィンね)。
あろうことか卵もバターもろくに冷蔵庫になかったので(なにしろ主婦は忙しいから)、
ネットで見つけたホットケーキミックスで作るパンプキンクッキーを作成した。
何かボソボソしてるなあ、と思ったが、これが妙に好評で、
「作り方教えて下さい!」とまで言われてしまい、
自分の味覚に自信が無くなる今日この頃。
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